コラム


たたかうことばと聴く力

 気分転換に、詩歌をよむことがある。生命の神秘、四季の移ろい、やわらかな官能、暗欝な頽廃。詩歌の豊かで魅惑的なイメージの世界に浸る。 つまりは、詩とまったく異なることばで仕事をしているということだ。

 わたしたちは、神意、呪術、暴力ではなく、どこまでもことばで紛争を解決しようとする。 時間がかかるし、根気もいる。しかも、争いの当事者が議論しているだけでは、いつまでも解決しないことがある。 そこで、裁判所が法に基づいて判断することで決着がつけられる。

 裁判では、契約書や証言などの証拠に基づいて事実を探求したうえで、 あるできごとが真実であったと主張し、証拠立てていく。ただ、裁判であっても、100パーセントの真実が明らかになるとはかぎらない。 法律の解釈についても、どちらにもそれなりの理屈があるというケースもある。そこで、わたしたちは、簡明で緻密な論理で鍛え上げた犀利な武器の ような言葉を駆使し、裁判官や相手方を説得していく。

 法廷では、言い分を論証する説得的な弁論や相手方の証言を弾劾していく 反対尋問が勝敗を分けることがある。ただ、陪審制を採用する諸国と異なり、日本ではこれまで裁判官が書面を中心に審理・判断してきた。 裁判官は、弁護士などが提出する書面や証拠を検討して、どちらかに軍配を上げる。弁護士も、証拠に基づいて事実を整理して主張を論述し、 専門用語を多用しつつ法律論を展開することを、書面で行っていた。言い分が書面で提出され裁判官が読むわけだから、法律の素人向けに 平明に語る必要もなく、陪審員の感情に訴えるような弁論もなされてこなかった。法廷で自説が滔々と陳述されることは稀だった。 市民に向けて水平的な関係で語られるというよりも、裁判官に申し述べる「垂直の言語行為」(坂部恵)が展開されてきた。

 ただ、刑事事件で裁判員裁判が開始され、民事事件でも斡旋・仲裁手続や労働審判手続が活用されている。裁判官でない者が目の前で 展開されていく弁論や証言を検討して判断する手続が増えてきている。弁護士にとっても、「詞藻を凝らし、知識豊かに語る」(キケロ)ことが、 これまで以上に求められている。偉大な弁論家たちの系譜に繋がり、先人の反対尋問を乗り越えることができるように、経験という惰性から脱却し、 知識を体系化して技術を磨くことにあらためて力を注がなければならない。

 では、これらの技術や能力は、いったい誰のために駆使されるのか。いうまでもなく、依頼者のために発揮されるものだ。 だから、自らが語ることと同じくらい、他者の声を聴くことが大切だ。しかも、依頼者はすべてをことばにしてくれるわけではない。 心の裡に抱えているものを掬いあげて、ことばにしていかなければならないこともある。また、権利という形を与えられていない利益もある。 そこで、人の感情や利益を法の言語に翻訳し、形作っていく作業が必要となる。それでもすべてを掬いあげることはできない。 ことばから零れおちてしまうものがある。制度や権力を背景とする「法の言葉」と眼前の「この人」の狭間で、弁護士は立ち止まって苦悩する。
 
 力強く語ることだけに邁進して当事者が置き去りになる自己陶酔の宇宙。他者の声に耳を傾けているものの争いが解決しない善意の迷路。 いずれも避けなければいけない。剣と秤、憤怒と慈悲のバランスとでもいえようか。依頼者の声に耳を傾け、不「正義」にことばで対峙し 闘うことに尽くしていきたい。

(2012年7月28日)


〈参考文献〉
・アリストテレス「詩学」 松本仁助 ・岡道雄訳 岩波文庫
・アリストテレス「弁論術」戸塚七郎訳 岩波文庫
・坂部恵 「かたり」弘文堂
・キケロ「弁論家について」大西英文訳 岩波文庫
・ウェルマン「反対尋問」梅田昌志郎訳 旺文社文庫
・鷲田清一「『聴く』ことの力」 阪急コミュニケーションズ
・大川正彦「正義」岩波書店

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