コラム


午後11時59分、曙光を信じて〜この夏におもうこと

 新聞やテレビなどのメディアには、さまざまな戦争、政争、紛争、犯罪、事故などのニュースが溢れています。 厄災に見舞われた人の苦悩や悲歎。人間や社会の欲望、暴力、欺瞞。刺激的なニュースが毎朝ワイドショーに流れ続けています。 「かつてあったことは、またあろう。かつてなされたことは、またなされよう。天が下に、およそ新しいことはない」(旧約聖書)のでしょうか。 このようなことは、「よどみに浮ぶうたかた」(方丈記)にすぎないのでしょうか。
 弁護士も、人間の紛争の解決に繰り返し関わります。 依頼者のニーズを受け止めながら、暴力によらずに争いを解決する智恵が法であると信じて、適正な解決とは何か自問し続けながら、 事件の解決にあたることを心がけています。しかし、ギリシャ神話のシーシュポスのように石を何度も運びあげているにすぎないのでしょうか。

 たしかに、歴史の単純な進歩を信じることはできません。しかし、哲学者の市川三郎が説くような 「各人(科学的にホモ・サピエンスと認めうる各人)が責任を問われる必要のないことから受ける苦痛を、可能なかぎり減らさなければならない」 という理念に共感できるのであれば、わたしたちの仕事もよりよい社会の実現に貢献していくことができるとおもいます。 それは、これまでの良き法の伝統を継承しながら、依頼者などの実存に関わって具体的な事案を解決する営為を積み重ねるとともに、 法の創造と浸透に主体的に関わって次代へと遺していくことだと思っています。
 「けっきょく」「どうせ」と吐き捨てるよりも、未来への地平を見つめながら、「なんとか」「きっと」 と信じながら一歩一歩前に進んでいく人でありたいものです。そうでなければ、未来への構想を持ちえないし、 孫の世代になにも遺すことができないことになってしまいます。

 46億年前に地球が誕生してから現在までを1年とすると、 200万年前の人類の出現が12月31日午後8時、1万年前の文明の誕生が大晦日の午後11時59分、300年前の 自然科学の誕生が最後の2秒にあたるそうです。
 この永遠の中の須臾というべき時間の中で、人類は、さまざまな崇高な行為や愚行を繰り返しています。 人は、さまざまな欲望をもち、暴力を手段として争ってきました。これからもおなじように争っていくでしょう。 それでも、わたしは、「人間の可能性の漸次的発展」(E・H・カー)を信じたいと思います。
 「この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている…ぼくらは朝をリレーするのだ」(「朝のリレー」谷川俊太郎)。
いつもどこかに朝がくるということを信じて、法にかかわる仕事を続けていきたいと考えています。

(2013年8月25日)


〈参考文献〉
・団藤重光『法学の基礎(第二版)』有斐閣
・小林直樹『法の人間学的考察』岩波書店
・E・H・カー『歴史とは何か』 清水幾太郎訳 岩波新書
・市井三郎『歴史の進歩とはなにか』 岩波新書
・ケインズ「孫の世代の経済的可能性」
 (『ケインズ説得論集』所収)山岡洋一訳 日本経済新聞社
・木村資生 『生物進化を考える』岩波新書
・『旧約聖書』中沢洽樹訳 中公クラシックス
・『方丈記』簗瀬一雄訳注 角川文庫
・『谷川俊太郎詩集』角川春樹事務所

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