「わたしたち」の危機、そして責任
あなたにとって大切なものは何でしょうか。生命、身体、健康、経済、名誉。
守るべきものが増えれば、それに対する危機も増します。 自然災害、戦争、テロから仕事やプライベートでの
失敗などのさまざまな危機やリスクにどのように向き合ったらいいのでしょうか。
危機をもたない人、感じない人もいるのでしょう。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。 此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。」(西郷南洲遺訓)。しかし、このようになりたくても、簡単になれるものではありません。
天災や人災は繰り返されています。危機やリスクが発生したとき、事実関係や原因が明らかにされ、責任を負担すべき者によって、 適切な被害救済と再発防止策がとられるべきです。しかし、責任逃れや泣き寝入りなど十分な被害救済がなされていない場合もすくなくありません。 被害者による責任追及に助力することは、弁護士のたいせつな役割です。
ただ、人間はあやまちをおかす生きものです。たとえば仕事やプライベートでの失敗や窮地はだれにでも訪れます。 人が過ちうるという可謬性にもかかわらず、無謬性を装うことは、あやまち自体を蔽い隠してしまうおそれもあります。 人間に起因するような危機は、誰の身にも降りかかるいわば互換性のあるものもあります。 失敗に学ぶという姿勢もときに必要です。
ベトナム戦争帰還兵で心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症しなかった人たちには、 ①人付き合いがよい高い社交性をもつ、 ②よく考えて積極的な対処戦略をとる、 ③自分の運命を自分で切り拓く能力があると強く感じる といった特性があるそうです。 重大な危機に直面したとき、孤立無援になるのではなく、そばにいてくれる人がいること。 意志の力を信じること。なにか拠り所となるものをもっていること。これらのことが大切なようです。
そのためには、わたしたちひとりひとりが、「あなたの危機が、わたしたちの危機になるかもしれない」 「彼方の問題も遠く隔たったものではない」といったような感覚や想像力を持ち合わせていなければ ならないのかもしれません。
あなたにとって「いい一日」とはどんな一日ですか。
あなたにとって「わたしたち」というのは誰ですか。
世界という言葉で、まず思い描く風景はどんな風景ですか。
どれも詩人、長田弘(おさだ ひろし)の「最初の質問」という詩のなかでの美しく厳しい問いかけです。
これらの問いから逃げずに自問自答しながら生きていくことが、
危機に隣合せの人生に対する責任(responsibility)であると思っています。